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新家族と趣味

                                 その他の学び2015


2015年2月7日 奈良シニア大学 「尼門跡寺院と<孝>の物語」 



「奈良シニア大学:尼門跡寺院と<孝>の物語」講座を受講してきました。講師は高校同窓生後輩の51回生。私にFacebookを勧めてくれた方です。10時から11時半までの1時間半、法華寺蔵「七草絵巻」を中心とした古典文学の講座です。法華寺と春の七草。どちらもなじみ深いテーマ。一時間半があっという間に過ぎてしまうほど興味深く、そして彼女の話術に引き込まれてしまいました。無料参加で申しわけなかったです。感謝!

2015年3月17日 奈良文化財講座 「古代史の光と影」 

奈良文化財講座の第2回目。今回は「古代史の光と影」政変と藤原四兄弟というテーマでした
よく長屋王の悲劇などと言われる長屋王の変。今までの理解と少し違う見方を学びました。長屋王は高市皇子の子
であり、また元正天皇の皇女である吉備内親王を妻としていた当時としては最も高貴な王であり左大臣でした。
彼は草壁皇太子系の元明・文武・元正・聖武天皇の仲間?であったわけですが、藤原系と対立し、藤原四兄弟の陰謀
で自害させられたと思っていました。ところが大般若経全巻の写経を成し遂げた序章?に自分の両親(高市皇子・
御名部皇女(元明の妹))は仙人となって天に昇るといった内容を記し、それが仏教感(極楽・地獄やあの世に行く
など)から逸脱していると密告されてとがめられたというわけです。私自身はこの説には納得しないのですが、数年
前に奈良そごう(元イトーヨーカドー)付近の発掘調査でも色々な事実を考えると、必ずしも悲劇の人ではなかった
ように思えてきたのは事実です。歴史も色々な角度から見てみる必要を感じた講座でした

2015年2月17日 奈良文化財講座 「中世都市奈良の終焉と近世ならまちの成立」 

奈良文化財同好会の講座に初めて参加しました。今回は奈良の街並みの中世と近世というテーマでした。
平城京から長岡京に遷都された時、ほとんどの建築物は長岡京に移されました。当然そこに住んでいた人たちも
新しい都に移り住みました。そうすると平城京が畑や荒れ地に変わったかというとそうではなくそのまま住んでいる
人たちも当然いたわけですし、また畑もすぐにはできなかったみたいです。どうも国が廃京を管理していたみたいで
田や畑になるのは平安時代になってからだそうです。その後管理が弱くなり、街並みは東大寺・興福寺がある東側
へと移りました。中世には東側に興福寺を中心とした「奈良」が形成され、江戸時代には奈良奉行所を中心とした
「ならまち」が発展しました。元興寺がすたれるともにその境内が順次「ならまち」に変って行ったのです。