本文へスキップ
家族と趣味は家族と趣味を記録するプライベートなサイトです

新家族と趣味


学び2017   

2017年12月21日 航空自衛隊奈良基地基地モニター 餅つき大会


  今年最後のモニター行事は餅つき大会。胸に名前入りのリボンを下げた来賓です!基地司令の挨拶の後にそれぞれ代表と希望者の餅つき。私は? 当然お断り。きねに振られた無様な格好は見せられませんもんね。でも食い気は人一倍。ぜんざい、お雑煮、あんこ、黄な粉を各一個と大根おろし3個。つきたては美味!!なんぼでも入るんです。途中隊員による和太鼓演奏まで食べっぱなしでした。その後自衛隊のカレンダーとお餅をいただいて終了。引き続き近くのホテルでモニター有志による情報交換。コーヒーは高いからケーキセットにとわけわからん理屈で注文。よく食べました! で、帰りの車でふと思い出したのが今朝の朝食もお餅だった!体重は確実に増えていました。

2017年9月12-13日 航空自衛隊奈良基地基地モニター 他基地学習

<1日目>岐阜基地

 一日目は岐阜基地。マイクロバスで移動し、到着後オリエンテーション。その後すぐ昼食。そして基地内コンビニで休憩してるとなんと「福地」さんの名札が目に。聞いてみると佐世保市の出身!若く礼儀正しく、はつらつとした隊員でした。
 その後は基地内見学。C-1、C-2の輸送機やT-4、T-7の練習機、F-2B、F-15の戦闘機などが駐機場にオンパレード。つい私たちのためにという愚問を発しましたがそんなことはありませんでした(笑) 格納庫では主力戦闘機F-15の説明を三等空佐の方から受けました。そして操縦席を見せてもらえることに。私が最初だったので図々しくコクピットに座ってもいいですかと聞くと快くOK!生まれて初めて現役戦闘機のコクピットに座乗しました。
 次は管制塔へ。女性の三等空佐の方から管制の業務や実際の管制室の説明を受けました。ここでのポイントは英語。私には遠い存在の管制隊でした。この区域は写真撮影不可。F-15座乗の写真が欲しかった!
 そして最後は退役した飛行機展示場へ。F86戦闘機が展示されていましたが機体番号がなんと427!私の誕生日です。この戦闘機は1948年に量産。私と同じ年生まれで、同じ機体番号。嬉しかったです。
 見学終了後はホテルに移動して、迎えのタクシーで夕食懇親会へ。4000円で飲み放題付きにしては料理もおいしかった!モニターのみなさんとの距離が一気に小さくなった楽しい懇親会でした。

<2日目>小牧基地

 二日目は小牧基地。昔出張でここから飛行機に乗った記憶がある飛行場です。
 まず21歳の女性空士長からユーモアを交えたオリエンテーション。一か月も前から準備したとか!頭が下がります。はじめはC−130輸送機の見学。実際に機内に乗り込み1等空尉から説明を受けました。そしてここでも操縦席座乗がOKとのこと。次の767を改造した空中給油機でも機内見学と操縦席座乗。こちらの1等空尉さんも気さくに説明してくれました。またそれぞれの機体の前での記念撮影は素晴らしい思い出での一コマです。
 その後は管制教育の見学です。小松空港をもとにしたシュミレーション教育は昨日の岐阜基地の管制室そのものです。全天候対応の実際や飛行機の離着陸の実際。最後にはF-15の画面いっぱいの大迫力の飛行シュミレーションまで見せていただくサービスも!写真をお見せできないのが残念です。
 途中三菱重工が作っているMRJの機体が滑走路の向かい側に見えるという、うれしいプレゼントもありました。
 そして昼食。いつもより軽めという昼食は冷やしきつねうどんと小鉢。なかなかおいしかったです。
そこには海上保安庁や陸上自衛隊、山岳救助隊が断念した人命救助を行うという、いわば最後の砦を守る航空救難隊の教育を受ける学生が食事をしてました。「海猿」より更に過酷なレスキュー隊員です。年に7,8名入校し卒業はその半分とか。みなさん丸坊主で精悍な顔立ちでした。
 食事後はお土産を買って奈良基地までの帰路へ。

 今回の他基地研修は単に視野を広めること以外に、航空自衛隊員の真面目でかつ気さくな人柄に出会え、そして普通はできないコクピットに座乗で来たという生涯心に残る2日間でした。各基地でおもてなししていただいた方々、そして2日間一緒にアテンドいただいた広報の方と運転していただいた隊員にに心からお礼いたします。ありがとうございました。

2017年9月11日 まほろば歴史講座校外学習 葛城山麓



 今回は校外学習です。葛城氏ゆかりの地域をバスでめぐりました。最初は室宮山古墳。古墳の麓には八幡神社がまつられています。神社があるので宮山古墳。他にも宮山古墳はたくさんあるとのこと。急坂を登って頂上に着くと石室が露出。その中に入り盗掘穴から中を見るときれいな石棺内部でした。
 次は高鴨神社。鴨氏の氏神で下鴨神社、上賀茂神社の総本社に当たるとのこと。全国の賀茂神社などは1200社以上あるが8割は京都系だそうです。本殿は檜皮葺で唐破風が見事でしたが全容が見えるのは今だけとのこと。拝殿が耐震性の問題で建て替えるとかで現在は基礎だけの状態でした。宮司さんも本殿の全容を見たのは初めてだったとか。 11月までは全容が見れるとか!
 そして高間彦神社へ。ここは高天原の近くにあります。ここでの印象はあまりないのですがバスが乗用車でも狭いような坂道を登っていき、みなさんびっくり!後で聞くと運転士さんは運転手の先生でした。お昼ご飯は奈良ロイヤルホテルが用意した中華のお弁当。おいしかったですよ!
 昼食後は一言主神社。雄略天皇が声をかけたら同じ言葉(こだま?)が帰ってきて、最後はお互いを認め合ったという古事記の世界を思い出しました。何か一つだけお願いすると聞いていただけるといううれしい神でもあります。
 最後は九品寺。南北朝時代に南朝方として楠木正成に一族を引き連れて味方した楢原氏が身代わりの石仏を九品寺に奉納したのが有名な千体仏だとか。決死の思いがひしひしと伝わってきました。
 今回の葛城氏ゆかりの校外学習は初めてのところばかりで素晴らしい学びをさせていただきました。感謝!

2017年8月25日 航空自衛隊奈良基地納涼会(基地モニターとして参加)



 今回のモニター活動は奈良基地主催の納涼会。5時開門と同時に招待客として受付で会費を払うとリボンをいただき特等席での見学。またお弁当やお酒も広報の方が運んでくださるVIP待遇です。
 隊員による和太鼓の演奏や揃いの法被もよく似合う幹部候補生の踊りなどを鑑賞。お弁当を食べ終わりお酒も入ったあとは先日の歩行訓練でお話しした3等空佐の方が候補生を連れて来てくれて、懇談。みなさんいい方ばかりで本当に自衛隊が身近に感じるひとときを過ごしました。あとは衆議院の馬淵澄夫議員がテーブルまで来て親しく挨拶。選挙とはいえ存続の危機とも言われる民進党では一つ一つの催しでのコンタクトは何かしら寂しさを禁じえませんでした。
 最初は暑さで7時前には・・・と言ってたみなさんも候補生との懇談であっという間に8時の解散時刻。みなさん、名残惜し気に会場を後にしました。

2017年7月10日 まほろば歴史講座 V

 第5回は漢氏(あやうじ)。後漢の霊帝の末裔といわれ、応神天皇の代に阿知使主(あちのおみ)と都加使主(つかのおみ)が朝鮮から17県の人民を率いて渡来・帰化したという。応神天皇は現在の明日香「檜前」に土地を与えたという。東漢氏(やまとのあやうじ)である。また王仁の後裔は西漢氏として河内に本拠を持ったという。
蘇我氏が技術力や武力を評価し一族発展の力としたことは有名。その武力を買われたのが崇峻天皇を暗殺した東漢駒。また蘇我入鹿が殺害されたときいち早く蝦夷を守るために駆け付けたのもこの一族とのこと。そして最初の征夷大将軍になり東北を平定した坂上田村麻呂もこの一族ということである。
 秦氏に比べてこじんまりした氏族だが古代日本の発展に大いに力となったことは否めない事実である。
 今年、関西さるく会のコースで檜隈寺跡を見学したこともあり身近に、かつ興味深く講義を受けることができた。

2017年6月29日 航空自衛隊幹部候補生60キロ徒歩行進訓練(基地モニターとして体験)


 基地モニター4回目は60キロ徒歩行進訓練見学と徒歩行進体験です。午後1時半奈良基地に集合し事前説明の後、バスで候補生の休憩場所へ移動。当初は学生と同じ装備(もちろん銃は模擬銃)で更新する予定でしたがモニターのみなさんの「重い・大変・・・」との声で中止。私は自信があったのですが(笑)
 朝8時ごろ奈良基地を出発した候補生は7時間を経過したころです。普通の道路ではなく山道を全員で隊形を作って進むため行進は本当に大変そうです。私たちも最も平たんな道を一時間ほど歩行体験。その間教官や広報の方たちの気さくで丁寧な説明を受け状況や課題がよくわかりました。どこの自衛隊でもそうなのでしょうが、みなさん本当に人間的に優れた方ばかり。この方たちが日本の空を守ってくれていると思うと一層安心感と親近感を持つことができました。次の休憩所での各役割の引継ぎ式を見学して今回のモニター活動は終了。
 もちろん彼らはその後も行進は続きます。彼らの奈良基地への到着は翌日の午前9時ごろとか。中には眠りながら歩く学生もいるそうです。無事問題なく踏破されることを願いつつ、帰路につきました。

2017年6月12日 まほろば歴史講座 W

 第4回は秦氏(はたうじ)。中国系古代の渡来人の豪族。応神天皇時代に始皇帝の後裔の弓月君が120の県(こおり)の人民を従えて移住したという。京都を拠点として鋳工・木工などの各種技術部門の主導権を握るとともに、鉱山の開発や灌漑・土木事業を推進する殖産氏族として活動した。政治には関わらず殖産に力を入れた結果、全国広範囲に今日まで続く氏族となった。日本最古の前方後円墳といわれる箸墓古墳は円墳部が真円に近いが、その技術は秦氏が来た頃と一致しており秦氏の技術力とか?また治水工事では嵐山の葛野堰堤や茨田堤も秦氏の功績。平安遷都も秦氏の財力を背景としていたという説もある。秦氏関連の社寺としては松尾大社・伏見稲荷退社・広隆寺・四天王寺・宇佐八幡宮・秦楽寺などがある。秦氏が雄略天皇に献納した絹がうず高く積まれたので「禹豆麻佐」(うつまさ)という姓を賜ったという。それが太秦の地名に。
 秦氏の末裔としては
・端、畑、畠、羽田、波田、八田、半田、波陀などの姓があり、さらに、
・波多野、秦野、畑山、畠山、畑中、八幡、広畑、畑川などの山の名称を付けた姓もあるという
まさに身近にいる人たちが秦氏の末裔、そして秦の始皇帝の末裔だったとは!?
 今回の講座はもっとも身近で親しみを感じる内容でした。本当に興味深く学びました。

2017年6月3日 航空自衛隊奈良基地(幹部候補生学校)基地祭 (基地モニターとして参加)


 基地モニター3回目は基地祭への招待です。まずは招待者受付でリボンをつけてもらい観閲式最前列に着席。 
9時50分時間通りに観閲式がスタート。航空自衛隊中部音楽隊の演奏で学生隊が順次入場。初々しくもきりっとした態度に称賛の声!基地司令の巡閲の後はいよいよ観閲行進です。歩幅は75センチ、1分間に120歩、腕を振る角度は前方45度、後方15度。縦横を整頓しつつ行進しながら、斉一な敬礼を行うのは見た目以上に困難だとか。わずか2か月で一糸乱れぬ行進を行う学生の進歩に会場からは感嘆の声。中には感動で涙ぐむモニターさんも!
 F15戦闘機の飛行展示の後はお待ちかねの祝賀会。挨拶・乾杯、そしておいしい料理と楽しい情報交換。鏡開きもありお酒は飲み放題・・・。車で来たことをモニターのみなさんは後悔しきりでした。
 祝賀会の後はペトリオットや軽装甲機動車などを見学。候補学生と談笑したり、基地司令と一緒に写真を撮ったり、楽しい時間を過ごしました。
 今回は観閲式での候補生の成長と各種装備品、そして隊員や候補生の苦労話など自衛隊を肌で知る本当にいい機会になりました。
(うちの家内や三男坊一家も見学に来てたのですがとうとう会えずじまいで少し残念でした)

2017年5月24日 航空自衛隊幹部候補生学校研修 (基地モニターとして参加)



 基地モニター2回目は「奈良基地研修」。9時半から16時までのほぼ終日で8名が参加。
カリキュラムは下記の通り盛りだくさんです。緊張もあり結構しんどかったです(笑)
@松林苑(資料館)見学と日程・奈良基地説明、A授業見学、B授業体験、C災害派遣等説明、D体験喫食(昼食)、E人命救助システム見学、F自衛隊車両体験乗車、G学生隊舎見学、H毛布のたたみ方体験、Iまとめ
 最初は安全保障の授業見学。プロジェクター×2・テレビ×2を使った授業は解りやすかったです。また内容も孫子の兵法をもとに進めるなど腑に落とす授業で理解も進むと実感しました。次は「防空」・「防災派遣」の体験授業。モニター向けに資料を作成いただき、かつ分かりやすく説明していただいた教官の方に感謝です。内容もよく理解できました。そして昼食。奈良基地特性の大和地鶏を使った黒米とろとろカレー。今月から自衛隊ご当地カレーとして販売するとのこと。おいしくいただきました。昼食後は人命救助システムの見学。災害時にまずは人命を救出するための装備一式ですが、コンクリートを持ち上げたり、破砕したりするため重くて操作が大変なものばかり。自衛隊員の激務の一端を垣間見ることができました。最後は学生の隊舎見学。シンプルで整理整頓の行き届いた部屋は感心するばかりでした。そして毛布たたみの体験。自衛隊精神のもとにもなっている毛布たたみは通称「バウムクーヘン状態にたたむ」とのこと。まさに毛布の折り込みがきれいに層になるたたみ方は圧巻。私もチャレンジしましたがなかなかきれいな層ができず大苦戦でした。付き添っていただいた総務課長や広報室長から見本を見せていただきましたが、ご本人たちも昔に返って楽し気にたたんでる様子がとてもほほえましく思えました。
 開講時とまとめのお話しいただいた基地司令の荒木空将補をはじめ、関係者のみなさんは本当に礼儀正しく、それでいて気さくで腰が低いというすばらしい人間集団に接することができて本当に有意義な一日を過ごすことができました

2017年5月20日 立命文華会公開講座(奈良生涯学習) 航空自衛隊のいろは

 立命文華会公開講座への受講は2回目。今回は航空自衛隊奈良基地司令(幹部候補生学校長)の荒木哲哉空将補による「自衛隊のいろは」。委嘱された基地モニターとしては興味ある講座です。
もちろん吉田空将補にご挨拶(覚えてなかったでしょうが・・・、でも親しく話してくれました)。
 講演内容は@最近の防衛に関する記事から、A航空自衛隊とは、B奈良基地について、C幹部候補生学校の紹介と教育理念について。
興味深かったのは
@台湾から千島列島までの地図を中国・ロシア側からひっくり返して見るとまさに日本が海洋進出の防波堤になっていること。イメージとしては過去から知っていたが今日の地図を見ると本当に邪魔な日本ということがよく分かった。
A南沙諸島問題についてはその地域の力(米国・ソ連)が空白になった都度、中国は西沙諸島→南沙諸島→南シナ海南部を占領していった。(ベトナム戦争米軍の撤退、ベトナムからソ連が手を引いた、フィリピンから米軍の撤退など)
B中国の三戦とは中国にとって有利な情報を流す情報戦、恫喝や懐柔を繰り返す心理戦、そして自国に有利なルールを作り上げる法律戦。それらを使って尖閣を中国領にしてしまう。恐るべき中国。
C幹部候補生学校の教育理念に関する講話の中で「使命」については自らのこれからの有り様について非常に参考になった。それは残された命をどのように使うかが使命。(レ点を使うと 命を使う)
 5月24日が基地モニター研修だっただけに素晴らしい予習をさせていただいた公開講座だった。

2017年5月15日 まほろば歴史講座 V

 第3回は大化の改新の功臣 中臣鎌足が藤原姓を賜ったのに始まり、平安時代から江戸時代まで貴族社会の中枢を占め、1200年以上もの間、最大の廷臣だった藤原氏。
今回の講義で興味深かったのは
@藤原姓は中臣鎌足直系しか名乗れなかった。(鎌足の従兄弟などは中臣のまま)
A壬申の乱で天智天皇派だった藤原不比等が天武天皇の死後、持統天皇によって判事に任命された。
 (持統天皇は天智天皇の娘だったので復権させた)
B藤原氏の出自ははっきりしない
 人質として来日した百済の義慈王の子「豊璋」と同一?「豊璋」は唐と新羅に滅ぼされた百済復興の新王として、大和朝廷とともに戦うが661年の白村江の戦いで敗戦。その後行方不明。一方中臣鎌足も「豊璋」が日本を離れてのち忽然と歴史から姿を消している。そして664年に突然日本書紀に鎌足が再登場する などなど。
C平城宮跡の東院庭園は聖武天皇の皇太子時代の住居(東宮)跡だが藤原不比等の邸宅(法華寺あたり)と繋がっていた。そして不比等(祖父)が孫の聖武天皇を教育感化していった。
 過去の講座で奈良時代の陰謀の黒幕はほとんど藤原氏。また栄華を極めた平安時代の藤原氏。いずれをとっても好きになれない藤原氏であるが、今回はまた違った意味で興味を抱いた講座でした。

2017年4月10日 まほろば歴史講座 U

 第2回は物部氏。物部氏の始祖はあの神話に出てくる天孫降臨の初代?だった!天孫降臨とは天照大神の命を受けて天孫のニニギノミコトが高天原から日向の地に天下ったという神話だが、実はその兄であるニギハヤヒノミコトがそれより以前に天の磐船に乗って大和に飛来してきたことも日本書紀には記されている。天孫降臨は2回あった!
 そのニギハヤヒノミコトを祖に持つのが物部氏だった!ニギハヤヒノミコトは大和の土豪ナガスネヒコの妹、登美夜須毘売を娶り物部氏の初代の宇摩志麻遅命をもうけた。(登美ヶ丘はその豪族の名前の「登美」が在所という)代は下って武烈天皇の時代には物部アラカイが大連となり九州の磐井の乱を平定した。また物部尾輿は蘇我稲目と仏教について対立した。蘇我氏が仏教を受け入れようとしたが尾輿は日本が神の国であるため受け入れがたいと反対。その子の物部守屋は皇位継承をめぐって蘇我馬子と対立し西暦587年に戦火を交え(丁未の変)敗北、討ち死にした。
 その後は宗家を石上神宮で有名な石上氏が継承。その子孫の石上宅嗣は日本で初めての公共図書館である「うん亭」を作った。弓削道鏡も物部氏の一族。
 石上神宮が物部氏の氏神とか武門の代表とか、聖徳太子が物部守屋との戦いで先勝祈願したお礼として四天王寺を創建したことは知っていたが今回の講座でより一層知識を得ることができたし、奈良在住者としては一層身近に感ずることができる豪族であった。

2017年4月4日 航空自衛隊幹部候補生学校入校式 (奈良基地モニターとして参加)



 平成29年度の奈良基地モニターとなって初めての行事参加。航空自衛隊幹部候補生学校の入校式に参加しました。
会場での席はなんと候補生のすぐ後ろの席。候補生の緊張した息遣いが聞こえてくるようでこちらも緊張!
 まずは一般大学生の自衛隊入隊式(入社式みたいなもの)、その後防衛大学校卒と一般大学卒、そして各隊から選抜された部内生などの入校式。学校長(基地司令)と幕僚副長による訓示などがあり入校式は無事終了。そして航空自衛隊中部音楽隊による演奏。ブルーインパレスをテーマにした曲などブラスバンドが大好きな私はめちゃくちゃ堪能しました。その後は各区分に分かれての記念写真撮影、記念会食をもってすべてのプログラムが終了しました。
 次は私たち基地モニターの委嘱状授与式です。基地司令からの委嘱状授与は候補生みたいに緊張しました。
 若いはつらつとした候補生、中でも声の大きさと規律の正しさには感動と共に、この方たちが日本の空を守ってくれるということに安心感と期待感を持つことができました。また会食時には候補生の方たちと入隊や入校の思い、出身地・家族のことなどの会話でき、より一層彼らを身近に感じることができました。

2017年3月21日 まほろば歴史講座T

 今年のまほろば歴史講座は古代豪族についてです。豪族とは多くの土地や財産、私兵を持ち一定の地域支配権を持つ一族。大和朝廷はその豪族の連合政権でした。平群・蘇我・葛城などの地名が付いた豪族や大伴・物部などの政権内での職務名の豪族などが中央におり、地方にもそれぞれ豪族が勢力を保っていた。それら古代豪族に迫るとともに古代史の謎を展望するのが今年のテーマとのこと。楽しみ!
 第1回は古代史を代表する豪族でありながら稲目から入鹿までのわずか四代で姿を消した蘇我氏。橿原市が本拠とのこと。仏教を興隆させた立役者であり、渡来人を配下に収めて大陸・半島の新しい文化・技術を広めた革新者でもあった。しかしライバルを滅亡させた後は娘を天皇の妃にし外戚としての地位を確立した上で、崇峻天皇暗殺や聖徳太子の子を討滅させるなど天皇をないがしろにし、入鹿の時代に乙巳の変で滅亡した。渡来人を配下に置いたことなどからもともとは渡来人ではとの学説もある。近年は蘇我氏は悪人ではなかった、功績を大きいという見解も出されている。
 今までは蘇我氏は大化の改新(乙巳の変後)で暗殺されたとか、馬子の墓が石舞台程度の知識しかなかったが、今回の講座でその権勢や功績なども知ることができ明日香への関心がさらに深まった。